アスリートインタビュー

【前編】白血病から奇跡の復活を遂げたプロサッカー選手の裏側

「白血病」。

誰しも聞いたことがある病名だと思うが、まさか自分が「白血病」を患うとは皆さんは全く想像してないだろう。

現在、プロサッカー選手としてアルビレックス新潟でプレーする早川史哉選手も「白血病」を自身が患った時には、「なんで自分が?と思った」と話す。

しかし、早川選手はこの困難から逃げずに「白血病」と向き合い、病気自体を治すことだけに留まらず、もう一度、プロサッカー選手としてピッチに立つとまで決意。

一度はプロ契約を凍結されたものの、約2年と7ヶ月という時間をかけ、現在はプロサッカー選手として再びプレーができるまでに復帰した。

同じような病気と戦っている人たちに勇気を与えるような奇跡の回復を遂げた早川選手に復帰までの裏側について語っていただいた。

【PROFILE】

早川史哉(はやかわ・ふみや)


アルビレックス新潟所属のプロサッカー選手。1994年1月12日生まれ、新潟県新潟市出身。アルビレックス新潟の下部組織の出身で高校3年時にはFIFA U-17W杯で日本代表を18年ぶりのベスト8まで導く活躍をみせる。筑波大学へ進学し、卒業後はルーキーながらもアルビレックス新潟でJ1リーグ開幕スタメンフル出場を果たす。その後、白血病を患うも再びプロサッカー選手として復帰。

プロになろうと思ったのは現チームメイトの存在

ーーサッカーを始めたきっかけを教えてください。

早川:近所にサッカーをやってるお兄さんがいて、その人の親が少年団の関係者で、その少年団に誘われて、サッカーをしたのが始めたきっかけですね。

ーープロサッカー選手になりたいと思い始めたのはいつ頃でしょうか?

早川:小学3年生の時ですね。僕がプロサッカー選手になりたいと思ったきっかけは今はチームメイトでもある洋さん(野澤洋輔選手)の存在です。

ーー野澤選手の存在。

早川:はい。僕が小学3年生の時、アルビレックス新潟の試合の前に前座試合があったんですけど、その前座試合に出た後にアルビの選手たちと記念撮影することができて、その時に洋さんが僕の頭の上に手をポンと乗せてくれたんですよね。写真もあるんですよ。

(左の男の子:早川選手、頭に手を置いている選手:野澤選手)

早川:ほら。頭をポンとしてくれていますよね。これめちゃくちゃ嬉しくて、今でもはっきり覚えています。洋さんは覚えてないかもしれないですけど(笑)。この時に僕はプロサッカー選手という職業の素晴らしさというか、僕が目指すべき選手像が見えましたね。

ーーどのような選手像でしょうか?

早川:ピッチ外でも皆に夢や希望を与えられる選手になるということです。洋さんのこういった子どもたちに対する対応やお客さんに対するファンサービスなどをみて、「洋さんのような選手になりたい」と子どもながらに思いました。こんなことされたら子どもたちは絶対に嬉しいし、喜ぶわけじゃないですか。恐らく洋さんは何気なくやってると思いますけど。その何気なく自然にやれてるところにも僕は惹かれましたし、洋さんは今年でもう40歳になるんですけど、洋さんから与えるだけじゃなくて、そういった対応をしてサポーターとの交流を含め、洋さんもサポーターの方々からパワーをもらっているからこそ、そのような年齢になっても選手としてプレーできているんだと思います。

ーーそんな憧れだった選手と今ではチームメイトですが。

早川:ほんと奇跡ですよ。こんな夢ような話があるかっていう感じですよね。今は毎日、一緒にプレーできていてすごく幸せです。そういう意味でも洋さんはすごくて。

ーーどういった意味でしょうか?

早川:思いの連鎖みたいなものです。僕は洋さんみたいな選手になりたいと思って、こうしてプロサッカー選手になることができて。そして、洋さんのプロ選手としての姿勢みたいなものを引き継いで、実際の僕のプレーやピッチ外での活動や振る舞いを見て、子どもたちがプロサッカー選手になりたいと思う。これってとんでもなくすごいことだと僕は思うんです。なので、僕はこの連鎖を止めないように連鎖の一員になれるように、ピッチ上でのプレーやピッチ外での活動で多くの人に夢や希望を与えられる選手であり続けたいと思います。

白血病と診断されてからもう一度ピッチに立つと決意するまで

ーーそして、その憧れであったプロサッカー選手になることができ、大卒ルーキーながらも開幕戦でスタメンとしてフル出場。ですが、「さぁこれから」だという矢先に。。。

早川:はい、白血病を患ってしまいました。

ーー白血病だとわかった時はどんな気持ちでしたか?

早川:最初は「なんで自分が?」というショックは多少ありましたけど、一番は「ホッとした」という気持ちの方が大きかったですかね。

ーー白血病なのにホッとしたんですか?

早川:白血病と診断される1ヶ月くらい前から自覚症状はすでにあったんです。その頃から嫌な感じの寝汗をかきながら朝5時には目が覚め、よく風邪気味になり首筋のリンパも腫れ出していました。トレーニングではダッシュ数本ですぐに息が上がるし、試合でも思うように体が動かず、「あっ、これがプロの世界なのか」と最初は思ってました。ですが、白血病と診断されて「そりゃ、動かないよね」とホッとした気持ちになりました。

ーー「ホッとした」とは言ってもサッカーができない体になってしまいました。それからどんなことを考えましたか?

早川:少しはもう一度、プロサッカー選手としてプレーすることを考えたましたけど、まずは生きることが大事ですし、昔から僕は先生になりたいという夢もありましたから、他の道も色々と考えました。ですが、本当に色々考えて考えて何度も考えたんですが、でも、結局考えるのはサッカーのことばかりで。サッカーの素晴らしさとか仲間と協力することの素晴らしさを自然と考えていた自分がいて。「あっ、俺ってやっぱりサッカーがしたいんだな」と思いましたし、まだチャレンジも何もしてないのに諦めたくないと思いました。

ーーなるほど。では、そこで病気を乗り越えてもう一度、プロサッカー選手としてピッチに立つという決断ができたわけですね。

早川:いえ、白血病と診断されて数日間は色々と考えて、サッカーをしたいという気持ちにはなりましたが、実際問題、当時の自分の体の状況で本当にもう一度ピッチに戻れるのかという不安もありましたし、諦めきゃいけないのかなとも思っていました。

ーーでは、何がきっかけで?

早川:僕がそうやってこれからどうしようか悩んでいた時、アルビレックス新潟の強化部長である神田さんと当時の社長の田村さんが病院に来てくださったんです。そして、「クラブとしてサポートしたい」と言っていただき、「俺、またピッチに戻れるんだ」という希望が見えて、そこで、もう一度プロサッカー選手としてプレーする道を決意することができました。ものすごくうれしくて、本当に涙が止まりませんでした。あの言葉は今でも忘れませんし、あの言葉があったからこそ今僕はこうしてプロサッカー選手として復帰するところまでこれました。

当たり前のことが当たり前じゃなくなった

ーーもう一度ピッチに立つと決意してから、闘病生活が始まったわけですが、どのような治療から始まったんでしょうか?

早川:最初は抗ガン剤治療から始まり、その後は放射線治療と骨髄の移植手術を行いました。ムカムカやだるさが毎度のように襲ってきて、あとは脱毛もひどくて。

ーー脱毛に関してはどう思いましたか?

早川:最初はショックでしたよ。自分の抜け落ちた髪を見て、僕、吐いちゃいましたからね。シャワーを浴びたときに髪を洗って、目を開けたら床一面が真っ黒になっていて。ドクターに「抜けるよ」と言われていて、自分でもわかってはいたのですが、いざ、実際にその現実を目の当たりにした時はショックでしたね。

ーーなるほど。闘病中はそれらの治療が一番苦しかったですか?

早川:身体的にはそれらの治療が苦しかったんですが、それに加え、入院生活の中で当たり前のことが当たり前じゃなくなったことも辛かったです。最初の数ヶ月間は病院のベッドの上でずっと横になる生活を過ごしていて、窓から外が見えるのに外に出られない。刺身や生ものといった食べたい物も食べられない。面会も制限されて人とコミュニケーションも取れない。こんなこと今までになかったので。

ーーそのような苦しい治療や生活をどのように乗り越えていったんでしょうか?

早川:アルビレックス新潟のサポーターをはじめ多くの方々から温かい応援をいただけていたこと、そして、良くなった時のことをイメージすることが大きなモチベーションになったと思います。「もう一度サッカーがしたい」という想いと「その自分の姿を頭」でイメージすること。でも、この「イメージする」というのはずっとイメージするだけではいけなくて、現在の自分自身の現状もしっかりと見つめる。これは闘病中かなり苦しいし辛いことではあるのですが、「先を見ること」と「今を感じること」この2つと上手に付き合うことがいろんなことに対処できた大きな要因かなと思っています。

クラブハウスに戻ってこれたことが何よりも嬉しかった

ーー白血病を患い、闘病生活から1年半後に、リハビリを開始できるところまで回復してどのような気持ちでしたか?

早川:クラブハウスに戻ってリハビリをスタートできるということが何よりも一番嬉しかったです。「もう一度プロサッカー選手を目指す」と決めたあの日の神田さんと田村さんの「クラブとして最大限バックアップする」という言葉を思い出しました。それまでの軽いリハビリはずっと一人だったので、また僕の大好きなこのクラブとともにスタートできるんだという嬉しい気持ちがこみあげてきました。

ーーどのようなリハビリからスタートしていったんですか?

早川:最初はストレッチや座る動作、手を前に伸ばすといった日常生活の延長線上のようなリハビリからスタートしました。それから2~3ヶ月後にはアルビのU-18(高校生)の選手たちのトレーニングに入れてもらい、そして更にその3ヶ月後にはトップチームのトレーニングにも最初は週1回でしたが参加できるようになり、焦りは多少なりともありましたけど焦っても仕方ないとはわかっていたので一つ一つ「やっと」と思いながら、復帰までのステップを踏んでいきました。

ーーそして、2018年11月12日。白血病と診断されてからだと約2年と7ヶ月。凍結されていた契約が解除され再び、プロサッカー選手として復帰することができましたが、あるインタビューでは「どこかで『生きていれば良い』という、ちょっと守りの考えを生み出してしまった。」と答えていますが、この言葉の真意は?

早川:復帰前まではトレーニングでキツくなったら「体動かないのは当たり前でしょうがないし、体に負担をかけすぎる方がよくないから休もう」という「「生きていればいい」っていうのを盾にした「守り」のスタンスでいました。ですが、そのような「守り」の変な余裕はプロとして活躍する上で「足かせ」になります。だからもう一度、プロになった時の気持ちを思い出して「攻め」の姿勢や気持ちを取り戻すようにしました。

ーーその「攻め」の姿勢や気持ちをどうやって取り戻していったんでしょうか?

早川:一つ一つの小さな成功体験を積み重ねて、一つ一つ自信をつけるようにしていきました。例えば、動けなかったりすると「俺はまだできていないんだ」という悲観的な気持ちになってしまいがちになります。ですがそうではなく、今自分ができることを見つけてたくさん成功体験を積み重ねて、自信をつけて、「じゃあ、次はもう少し頑張ってこれにトライしてみよう」というポジティブな気持ちで日々のトレーニングに励むようにしました。本当に一歩一歩。下手したら半歩半歩かもしれないけど、今の自分を少しづつ超えられるようにしています。

ーー現在の早川さんのパフォーマンスは復帰前に比べて何%ぐらいですか?



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